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The story of a lure designer

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終わりのない遊びとの出逢い

家から歩いて5分でダム湖、10分で清流という釣りにはもってこいの環境に生まれ、幼少期から祖父にオイカワなどの雑魚釣りに連れて行ってもらっていたように記憶している。それが釣りという遊びと魚という存在を身近にした理由だったのだろうと思う。
小学校2年生の頃に友達から【学校の横のダムでブラックバスっていうのが釣れるらしいけど、ルアー釣りしてみいへん?】という話に誘われて、手持ちの投げ竿とスピナー・スプーンにジグヘッド付きの蛍光色系の2インチぐらいのクラッピーグラブを持ってバス釣りに行き始めたのがルアーというものを知るキッカケだった。

 

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憧れのルアーが欲しかったあの頃

高校1年。そもそも画家志望だったがその道に挫折し、何をしようか?呆然とこれからについて考えていた。そんな中、最初の運命的な出会いが巡っきた。

たまたま隣の席になった人物に【本当のバスフィッシング】を教えてもらうことになり、バズベイトで釣れた48cm一匹がきっかけで本格的にバスフィッシングにのめり込んだ。それが生涯の親友との出会いとなった。

ちょうど1994年頃、第2次バスブーム真っ只中。そもそも人気で手に入れられなかった有名ブランドのよく釣れるルアーたち。なんとか手に入れたいと足繁く釣具屋に通うも中々手に入れられない日々。

そんな中、親友からルアーは木で作れる事、それをハンドメイドルアーと呼ぶ事を教えてもらった。

もともと美術・工作には自信があった。【手に入らないなら自分で作るしかない】と心に決め、当時のルアー専門雑誌で紹介されていたルアーの構造や設計に関わる記事を、何度も何度も読み漁り独学でルアー制作を学んだ。今のようにメディアが多くなかった時代、奈良の山奥の片田舎でルアーを勉強するには、これしか方法がなかった。雑誌の記事や写真を見て、想像と妄想を元に見様見真似で廃材からボディを削り出し、ポスターカラーで色を塗って一液ウレタンでドブ漬けコーティングする。完成させては実釣テスト。魚に答えを聞く終わりのない遊び。そんなことを繰り返し続けていく中で、【憧れのルアーを自分で再現する】という思いは、いつしか【自分なりに楽しいと感じる釣りをするためにルアーを作る】という感覚に変化していった。

創り続ける道

1998年の年末。釣具業界にルアーメイキング・デザイナーで就職するために必死でルアーを作っていた。
フィールドで知り合った釣り仲間に【ルアーの製作スタッフを募集しているルアーブランドが有る。】そう教えてもらったのがキッカケだった。
自分の作品を持って面接を受けるべく、それまで行ってきたルアー製作の知識とノウハウを凝縮させ、当時流行っていたトラッド系のペンシルベイトを製作する事に決めた。働き始めたばかりの安月給を、なんとか工面して小さな木工旋盤を買い、滑らかにスケーティングする絶妙な形状を削り出し、素材の比重を踏まえてウエイトセッティング。憧れだったオリンポスのエアーブラシも揃えて、最大限深みのあるカラー表現に努め、失敗を乗り越えてなんとか作り上げた数個のルアーを持って、そのルアーブランドの扉をたたいた。
しかし面接では2度断られ、それでも【次こそ最後】と思って力の限りを尽くして製作したルアーを持って挑んだ3回目の面接でOKをいただき、ルアーを作るということを生業にするスタート地点に立つことができた。

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​運命的な出会い

釣具業界に就職して幾ばくも経たないうちに僕のルアー制作の方向性を決定づける運命的な出会いが2度訪れた。
1つ目がネイティブ・カトウクラフト、加藤さんとの出会い。それまでトラディショナルなルアーをメインで創っていた僕に、リアル系ルアー製作の考え方、アルミの貼り方、カラーリングの基礎を教えていただいた偉大な大先輩。
2つ目がニシネルアーワークスの西根さん。1999年当時【ドリームラッシュ】のブランド名でウッドハンドメイドルアーを製作しておられた西根さんがカナダから帰国され工房に訪ねて来られた。ウッドルアー制作について様々お話しをお伺いした後、帰り際に【何か削りますよ、何にしますか?】と工房に置いていた檜の木片を手に取って聞いてこられた。昔から馴染みのある魚【オイカワ】をリクエストすると、数分の間に木片は生命感を宿した綺麗な曲線を持つルアーに変化していった。見た目だけではなく、しっかりとルアーとして機能する形状を織り込まれたその木片。その一瞬の出来事に僕は魅了され、それまでトラディショナルなスタイルメインで製作していた僕を、一気にリアルフィニッシュを追求する方向へと振り向かせた衝撃的な瞬間だった。

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1998年の年末。釣具業界にルアーメイキング・デザイナーで就職するために必死でルアーを作っていた。
フィールドで知り合った釣り仲間に【ルアーの製作スタッフを募集しているルアーブランドが有る。】そう教えてもらったのがキッカケだった。
自分の作品を持って面接を受けるべく、それまで行ってきたルアー製作の知識とノウハウを凝縮させ、当時流行っていたトラッド系のペンシルベイトを製作する事に決めた。働き始めたばかりの安月給を、なんとか工面して小さな木工旋盤を買い、滑らかにスケーティングする絶妙な形状を削り出し、素材の比重を踏まえてウエイトセッティング。憧れだったオリンポスのエアーブラシも揃えて、最大限深みのあるカラー表現に努め、失敗を乗り越えてなんとか作り上げた数個のルアーを持って、そのルアーブランドの扉をたたいた。
しかし面接では2度断られ、それでも【次こそ最後】と思って力の限りを尽くして製作したルアーを持って挑んだ3回目の面接でOKをいただき、ルアーを作るということを生業にするスタート地点に立つことができた。

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釣具業界に就職して幾ばくも経たないうちに僕のルアー制作の方向性を決定づける運命的な出会いが2度訪れた。
1つ目がネイティブ・カトウクラフト、加藤さんとの出会い。それまでトラディショナルなルアーをメインで創っていた僕に、リアル系ルアー製作の考え方、アルミの貼り方、カラーリングの基礎を教えていただいた偉大な大先輩。
2つ目がニシネルアーワークスの西根さん。1999年当時【ドリームラッシュ】のブランド名でウッドハンドメイドルアーを製作しておられた西根さんがカナダから帰国され工房に訪ねて来られた。ウッドルアー制作について様々お話しをお伺いした後、帰り際に【何か削りますよ、何にしますか?】と工房に置いていた檜の木片を手に取って聞いてこられた。昔から馴染みのある魚【オイカワ】をリクエストすると、数分の間に木片は生命感を宿した綺麗な曲線を持つルアーに変化していった。見た目だけではなく、しっかりとルアーとして機能する形状を織り込まれたその木片。その一瞬の出来事に僕は魅了され、それまでトラディショナルなスタイルメインで製作していた僕を、一気にリアルフィニッシュを追求する方向へと振り向かせた衝撃的な瞬間だった。

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1998年の年末。釣具業界にルアーメイキング・デザイナーで就職するために必死でルアーを作っていた。
フィールドで知り合った釣り仲間に【ルアーの製作スタッフを募集しているルアーブランドが有る。】そう教えてもらったのがキッカケだった。
自分の作品を持って面接を受けるべく、それまで行ってきたルアー製作の知識とノウハウを凝縮させ、当時流行っていたトラッド系のペンシルベイトを製作する事に決めた。働き始めたばかりの安月給を、なんとか工面して小さな木工旋盤を買い、滑らかにスケーティングする絶妙な形状を削り出し、素材の比重を踏まえてウエイトセッティング。憧れだったオリンポスのエアーブラシも揃えて、最大限深みのあるカラー表現に努め、失敗を乗り越えてなんとか作り上げた数個のルアーを持って、そのルアーブランドの扉をたたいた。
しかし面接では2度断られ、それでも【次こそ最後】と思って力の限りを尽くして製作したルアーを持って挑んだ3回目の面接でOKをいただき、ルアーを作るということを生業にするスタート地点に立つことができた。

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